2.
「それにしても――」
 他人に聞こえないように気を付けつつ――まぁ、普通に喋ったところで、喧噪に掻き消されて、誰の耳にも届かなかっただろうが――
レオンはぼそり、と呟いた。
 廻りを見渡せば、ダーツに興じる若者や、愛を語り合うカップルの姿が見える。いわゆるショットバー、というやつだ。
「――どうして、俺はここにいるんだろうな?」

 結局、補習はうやむやのうちに合格扱いになってしまった。
「補習はね、生徒の理解力を問うものなの。あたしは、レオンくんの実力を認めた。だから、レオンくんは合格。文句ある?」
――とは、アメリアの談。
 そんなことで合格?――喉元まで出掛かった言葉を、レオンは飲み込んだ。
流石のレオンも、棚ぼた的にゲットした合格を、みすみす手放すほど愚かではない。
 そして、アメリアに半ば強引に誘われるままに、連れてこられた場所がここだった。と、そういう訳である。

「……ま、いいか」
 一人結論付け、モスコミュールに口を付ける。
 当たり前だが、レオンは学生、未成年。見つかれば、ただ事では済まない。
 しかし、今のところ、事実が発覚しそうな事態には陥っていなかった。
 で。お悩み相談者であるはずのアメリアは、というと……
「ゴリラとフォーリンラヴしちゃうような奴は、勉強不足でお仕置きなのらー」
 ――完全に出来上がっていた。これでは、どちらが年上なのか分からない。
 もはや支離滅裂な話の端を、掻い摘んで推測するに――

1.ずっと付き合ってた彼氏にフラれたのよ。あいつから告ってきたくせにさ!
2.しかも「他に好きな人が出来た」って、あたしはどうなんのよ!
3.こっそり現カノを見に行ったらさ、ゴリラのボスみたいな女なのよ! あたしはアイツ以下なの!?

 ……とまぁ、たかだか箇条書き三つで片が付く話。

『先生にも、いろいろあるんだな……』
 大人って大変だ――と一人納得しつつ、再びモスコミュールのグラスへと延ばしたレオンの腕を、アメリアの手が掴んだ。
「ねーぇ、レオンくぅん……先生、そんなに魅力なぁい? 生徒の目から見てどうなむぐっ」
「わーッ! わーッ! わーッ!!」
 レオンは咄嗟にアメリアの口を塞いだ。この場所では、「先生」「生徒」は禁句中の禁句。
そのことが他人の耳に入ろうものなら、レオンは退学間違いなし。
それだけならまだしも、酒場に生徒を誘った、ということで、アメリアの立場まで危うくなってしまう。
それだけは避けたかった。
「せん……もとい、アメリアさん、ここではそれはNGワードだからッ!」
 口を押さえたまま、レオンが必死で忠告する。
アメリアも、事の重大さに気が付いたのか、こくこく、と2回頷いた。
「そりゃあ……あ、アメリアさん、は……か、可愛いと……思いま……す……よ」
 レオンの語尾は、だんだん尻窄みになっていく。
「駄ー目、信じない。男って、心にも思ってないことでも、すぐに口に出せるんだから」
 ずいっ、と顔を近づけつつ、アメリアはジト目でレオンを睨み付ける。
ほんのり朱に染まった頬。涙に潤んだ瞳。
バーの蒼い間接照明も相まって、艶やかに映るアメリアの姿に、レオンの理性など、簡単に何処かへ飛んでいきそうだった。
「……キス、して」
「ふぉあぃッ!?」
 意味不明な悲鳴を上げる。つくづく今日は驚かされる日だな、とレオンは思った。
「キスして。本当に可愛いと思ってるんなら、行動で示してみせて」
 レオンが返答に窮している間にも、アメリアは瞳を閉じ、顎をわずかに上げてくる。
レオンの頭の中では、天使レオンと悪魔レオンが、ぐるぐる渦巻いていた。

天使レオン「駄目です! 雰囲気に飲み込まれてはいけませんよ!」
悪魔レオン「何だよ、堅いこと言うなよ。千載一遇のチャンスだぜぇ? 巧く行けば、恋人同士になれるかもよ?」
天使レオン「……それもそうですね」

 天使レオン、あっさり撃沈。
 えいままよ、とレオンも瞳を閉じ、少しずつアメリアとの距離を縮めていく。
やがて、アメリアのぷるん、とした口唇に辿り着く――前に、頬に妙な感触を覚えた。
「えへへー、引っ掛かったー」
 目を開けると、レオンの頬を人差し指で突っつきつつ、けらけら笑っているアメリアの顔があった。

『――も、どうにでもして……』

 思わず、投げやりな気持ちになってしまうレオン。
そんな二人を見ながら、バーのマスターは、やれやれ――とでも言いたげに、大げさに肩をすくめた。


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