#7 賢者の異変、令嬢の危機 2

「はっ…はっ…はぁっ……」
息も切れ切れになりながら、カイルは走り続ける。
気がつけば、そこは公園の端にある、人気の無い林間部だった。
カイルは、ゆっくりと走る速度を落とすと、そこで息をつく。
暴れる衝動はまだ治まらないが、一人になる事で、少しだけ負担が軽くなったような気がする。
「待ちなさいっ」
そう考えていたところに、後ろから彼を追ってくる声が聴こえてきた。
「…くっ!」
カイルはその声を振り切るように木々の中へと身を隠す。
そして跪くと、自分で自分の体を抱くように、両腕できつく自分を押さえつける。
シャロンの気配が、すぐ近くに感じられる。
しかし、今の自分を彼女と会わせる訳にはいかない。
(大丈夫だ……。このままじっとしてれば、そのうちに…)

『よごせ』

「っ!!?」

『けがせ』

『ちらして、しまえ』

突如として、浮かぶ言葉。それは、極めてプリミティブな欲望。
(まさかっ!? こんなはっきり現れてくるなんて…まるで……)
あの時の、と考えようとした時、言葉に続いてやってきた嵐のような衝動が彼を包む。
「ぐっ……っっ!!」
カイルは、自らの唇を噛み、声を抑えながらも、自我を保とうとする。
そうでないと、次の瞬間にはもう、自分を失ってしまいそうだったからだ。
(…ち、違うっ……僕は、こんな、劣情、な、ん、か………)
ぐらり、と体勢がゆらぐ。
「シャロン、さん…」
カイルが、まるで自制心を放棄するかのように倒れる寸前。彼は、シャロンの背後から潜みよる、自分の影を見た気がした。


シャロンは、カイルを見失っていた。
「どこへ、行ってしまったのかしら…」
周りを見渡せば、木々ばかりが眼に映る。
そこは、身を隠す側にはもってこいの場所。逆を返せば、見つける側にとっては非常にやっかいな場所だ。
耳を澄ませてみても、海から吹き付けてくる風の音が聴こえるばかりで、埒が明かない。
「それにしても…あの様子…。何が、あったの…?」
シャロンはカイルの姿を捜しながらも、考える。
彼の様子は尋常では無かった。
何かに追い立てられているようでもあり、それから懸命に逃げているようでもある。
(もしかすると…さっき言いかけていた何かと、関係があるのかも知れないわね…)
さらに、彼女は漠然とした不安も、同時に感じていた。
それが何なのかは分からないが、とにかく、このまま放っておくと、大変な事になる。
そんな確信めいた予感を抱きつつ、ひたすらにカイルを捜し続けていた。

「お姉ちゃん、何してるの?」
「えっ!?」
そんな時、不意に呼び掛けられた声に、シャロンは驚きつつも振り向く。
そこには、彼女よりはやや年下に見える、端整な顔立ちの少年が立っていた。
「女の子がこんなところを一人で歩くのはよくないって、先生言ってたよ」
少年は笑う。そんな様子に、シャロンも警戒を解いて対応する。
「え、えぇ…、ちょっと、人を捜してますの」
「そうなんだ。ボクも一緒に手伝おうか?」
「いえ、それには…及びませんわ」
「でも…」
「そうだ。もうそんな必要は、無い」
「あ…」
「…っ!?」
カイルが、気配も感じさせず、木陰から現れる。
先ほどまでの様子とは裏腹に、その口を軽く緩ませながら。


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