#8 賢者の過去、令嬢の思慕 2

カイルの自室にて。
彼は机に向かいながら、封筒に入っていた一枚の紙切れを、ただじっと見つめていた。
それは、その日、マジックアカデミーにて学問を担当し、かつカイル自身の寮の監督であるロマノフから『おめでとう』という言葉と共に、手渡されたものだ。
そこに記されている内容は、いたって簡潔な事柄。しかし彼にとっては朗報である。
「………」
けれど、彼の心は晴れない。それどころか、暗雲が立ち込めるばかりだった。
そっと、カイルはかけていた眼鏡を外す。途端に、世界が輪郭を失う。
それでも、以前に自分を励ましてくれた、温かみが溢れるあの笑顔だけは、彼の心に明確に焼きついていた。
もう、手放したはずなのに。断ち切ったはずなのに。
「…シャロンさん。僕は…賢者に、なりました」
カイルは、そっと呟いた。


「さぁ、行きますわよ…」
シャロンは、アカデミー内にある教員室の前に立っていた。
既にやるべき事は見えている。彼の過去。まずはこれを明らかにするのがその第一歩だ。
そのための手段など、彼女にとってはいくらでもある。
しかし、一番効率がいいのは、やはり彼を知っている人から直接情報を得る事だろう。
ここには、カイルの所属している寮の監督である、ロマノフがいる。
あの先生ならば、何かを知っているはずだ。そう、彼女は推測していた。

がららっ。
シャロンは扉を開ける。
「失礼いたしますわ」
「あら、シャロンさんじゃない。どうかしたの?」
彼女に声を掛けてきたのは、雑学担当の教師であるリディアだ。
「えぇ、ロマノフ先生はこちらにいらっしゃいますか?」
「うーん。先生なら、カイル君に合格通知を渡しに行ったっきりね」
「え…?」
リディアの突然の言葉に、シャロンは戸惑う。
(合格通知…。彼は賢者に、なった?)
それは即ちクラスの別離を意味する。複雑な心境が、彼女を取り巻く。
しかし、動じはしない。最初から落ちるなどとは思ってなかったし、すぐに自分も、同じ舞台へ上がるまでだからだ。
「リディア先生! それ、まだ他の生徒には内緒だよっ」
そんな時、マロンが、二人の会話に入ってきた。
「あらら。そうだったわね、私ったらいけないわ」
リディアはそう言いながらも笑っている。あまり反省しては無いようだ。
「もう…どうしてこの学校の先生って、みんな意識が軽いんだろう…」
(全く同感ですけれど、マロン先生が言われても、あまり説得力には欠けますわね…)
口には出さないが、ついそう考えてしまうシャロンだった。
「でもいいじゃないですかマロン先生。シャロンさんと彼は恋人同士なんでしょう?」
「ぇ…」
瞬間、部屋中の空気が固まる。
「(ね、ねぇっ。リディアせんせってば、知らないの? カイル君のこと)」
「(…私に分かる訳がないだろ。それより服を掴むなよ。離せっ)」
アメリアとフランシスが小声で話しているようだが、シャロンには丸聴こえだった。
「えぇ、その通りですわね。したがって、何の問題もありませんわ」
しかし、彼女は平然とそう答える。
「えっ?」
「ほら、ね。だから、お・め・で・と。賢者って、素敵よね」
リディアは笑う。だが彼女以外の先生達は、皆困惑の表情だった。
「(ちょっと、どういう事、これ? モトサヤってやつ?)」
「(分かる訳無いと言ってるだろっ。いいから離せ! 襟がたるむっ)」
「いいじゃないか! それも青春だっ!!」
アメリアとフランシスのコンビに、ガルーダが混ざる。
「だぁ、声が大きいっ! 飛んでけっ!」
どかーん。
アメリアによる小規模の爆発系魔法が炸裂する。
「うぉぉぉっ!!?」
「ふ、服がっ!?」
そこにはちょっとしたイベントが発生していた。
そんな3人による愉快なワンシーンを見ながら、リディアは言う。
「あの先生たちって、変わってるわ」

がらがらがら…。
「なんじゃ、騒がしいのう」
その時、ロマノフが教員室に入ってきた。
(さて、茶番はこれまでですわね…)
シャロンは心に活を入れてから、意を決して話しかける。
「ロマノフ先生。折り入ってお訊きしたい事が、あります」


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