#8 賢者の過去、令嬢の思慕 4

それから一晩の時を置いて。
カイルはその日、アカデミーを休んでいた。大魔導士クラスでの授業はもう必要ないからだ。
数日の授業調整の後、賢者クラスでの日々が始まる。今はその為の小休止とも言えるだろう。
「………」
彼は、朝からいつも通りに起きてはいたが、特にする事もなく、したい事も思いつかなかったので、寮の自室で色々と考え事をしながら過ごしていた。
いや、正確には、不意に頭をよぎるある2つの事だけは考えないように、過ごしていた。
そう。1つは、家族の事。そしてもう1つは―――。
(っと、ダメだ…)
そこで思考を緊急停止。もう今日だけで何度目か、数える事も出来ない。
しかし、新たに授業が始まったとして、果たして今の状態の自分がついていけるのだろうか。
カイルは前もって用意していた次のテーマを考える。実はこれも、今日だけで何度目か分からないくらい考えてしまっているのだが。
キーンコーンカーンコーン…。
少し遠くからベルの音が聴こえる。時計に眼をやると、もう昼休みの時間だった。
「昼ごはんでも、作るか…」
自分にそう提案すると、彼は仕度を始める。
寮の中にも勿論食堂はあるのだが、彼は元々料理が得意な上に、その方が安上がりなせいもあって、ずっと自炊生活を続けていた。
あまり食欲は湧かないが、一人暮らしでの料理というものは、食材の保存と消費のバランスが大切なのだ。
特に野菜などは一度に消費しきれない分を、いかに鮮度を保っているうちに使いきるかが重要になってくる。
コンコンコン。
そんな余計な事を考えていた時、ノックの音が彼に届けられた。
「はい?」
こんな時間に誰だろうか。至極当然な疑問を抱きつつも、彼はドアを開ける。
「ごきげんよう」
「えっ……」
考えないようにしていた、2つめの対象。その彼女が、そこに立っていた。


「私、男性の方の寮の部屋に入ったのは、初めてでしてよ」
彼女はカイルの部屋に入ると、軽く全体を見渡しながら言う。
「意外と言いますか、当然と言いますか…片付いてますわね」
「シャロンさん…一体何の用ですか?」
極めて無愛想に、そう自分に努めながらカイルは問いかける。
「えぇ、用件は3つあります」
シャロンは振り返り、カイルと向き合う。
「1つは、授業を欠席してらしたので、様子を見に来ましたの」
「そうですか、でも僕は見ての通り元気ですよ。それに授業を休んだのは…」
「2つ。賢者昇格試験、合格おめでとうございますわ」
カイルの言葉を途中で遮って、シャロンは言った。
「…それは…どうも、ありがとうございます」
目を逸らしながらも、彼は答える。
「そして、3つ。貴方の悪夢を晴らしに参りましたわ」
「悪夢?」
「えぇ、犯してもいない罪に悩んでいる彼氏など、私は認めませんから」
「彼氏…って、もう僕とあなたは…」
「『別れよう』などという発言を、私は聞いてませんわ。もし言われたとしても、認める気なんてありませんけど」
「…それは、あの勝負の勝者特権ですか?」
「そんな子供染みた決まりごとなど」
シャロンは軽く笑い飛ばす。
「関係ありませんわね。私は私が決めた筋を通す。ただそれだけですわ」
「………」
「さて、それでは始めましょうか」
「始めるって…」
「貴方にとって悪夢のすべては、貴方がまだ幼い子供だった頃の、一つの悲しい出来事から起因しています」
「っ…」
「それは、特別裕福と言う訳でもなく、かと言って特別貧しいという訳でも無い。ごくありふれた、けれど幸せな家庭でした」
「えぇ。僕が、それを終わらせてしまうまではね」
ゆっくりと説明しようとするシャロンを拒むように、カイルはいきなり結論を言う。
「貴方は、何もしてません」
きっぱりと、彼女は言い切った。
「……誰から聞きましたか」
「その問いには答える必要性が感じられませんわ」
「そうですか。えぇ、僕も別に知りたくないですね。どうせ関係ない事ですし」
「カイル」
「えっ」
急に名前を呼ばれ、彼は軽く動揺する。
「貴方は、誰も、殺してないわ」
「…だから…関係ないと」
「家族も、それから、その場で一緒に見つかった犯人も」
「………」
「貴方はその時、犯人の意識を、読み取ったのよ。まるで自分が行っているかのように、鮮明とね」
「そんな事が…どうして…」
「ただの仮説ですわ」
「それならっ!」
カイルは声を荒げる。しかしシャロンは少しも怯まない。
「えぇ、これからそれを実証してみせましょう」


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