#9 賢者には花束を、令嬢には約束を。 1

(これは、なんだろう…)
カイルは考える。
彼は、今までに遭遇した事の無い情念を感じていた。
これまでの衝動の時とは違う。この感情には、ネガティブな要素が見当たらない。
それは、ただ温かくて、とても優かった。
でも、不安だ。
それを受け入れる事を、自分は怖がっている。
しかし、何故怖がるのか。それが、カイルには分からなかった。分かりたくなかった。

『だいじょうぶ』

そんな中。心に、静かに響く声がする。
(…この声は)

『こわがることは、ないから』

どこか、忘れかけていた懐かしさのようなものを感じさせる言葉が、囁くように、諭すように、彼自身の中へと染み込んでいく。
(従う、べきなのか?)
それでもカイルはまだ迷っていた。認めたくなかったからだ。
一度は受け入れようとして、でも結局は否定してしまったもの。
自分を癒してくれる、その存在を。

(…あぁ、そうか…)
そこで彼は気付く。今まで無意識に眼を背けてきたもの、怖れていたものに。

そう。本当は、認めたくなかったんだ。
家族の死を。
自分を優しく包みこんでくれるようなあの笑顔を、理不尽に失ってしまった事が。強引に、奪われてしまった事が。
罪の意識だなんて、ただの理由付けに過ぎない。
そうやって自分をごまかす事でしか、その悲しみを逸らす術がなかったんだ。
そうやって自分を偽り苦しむ事でしか、自分を保つ術がなかったんだ。
でも、自分は気付いてしまった。そして、認めてしまった。

(…僕は、どうしたらいいんだ…)
深い絶望が、カイルを襲う。
「眼を、開きなさい」
「え…」
彼は言われるがまま、ただ自分の中で彷徨っていた意識を目の前に集中させる。
シャロンの顔が、そこにあった。
「怖れる事なんて、ないわ」
「…でも…僕は…」
「貴方は、今の自分を、大切にすればいいのよ」
彼女はそう言って、微笑む。
かつて、自分を癒してくれた家族によるそれとはまた違う笑顔。けれど、それに負けないくらい、やわらかい。
「あ……」
不思議だ。彼女が笑ってくれた。ただそれだけなのに。満たされる。
カイルはそんな自分を意識しながら、受け入れていく。少しずつ。その情念を。
そして、その情念は、彼の中で、ある一つのかたちを形成させる。
それは明るくて、優しくて、華やかで、煌びやかで。
色とりどりに、ただ一心に咲き誇るようなイメージ。
「シャロンさん…」
「ぇ…」
カイルは、彼女を抱きしめる。
そのイメージを確かめるよう、しっかりと。
けれど決して散らしてしまわないよう、大切に、大切に。
「………」
そしてシャロンもまた、そっと、両手をカイルの背中へと回す。
もう、衝動などという概念はそこには無い。カイルは、ただ自分を満たしてくれるその想いに、どこまでも、沈んでいった。

(あれ…?)
不意にカイルは、自分の感覚に違和感を覚える。
それはまるで、自分が自分を抱きしめているような感覚。いや、まさにそんな感触だった。
それだけでは無い。考えてもいない事柄が、次々と頭に浮かんでくる。
(これは…もしかして…シャロンさんの…?)
そう思いかけた時、彼の意識は急速に遠のきはじめる。
「ぅ……」
「…カイル? ちょ、ちょっと?」
カイルはシャロンを抱きしめたまま、ゆっくりと、倒れこんでいった。


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